〔『正法眼蔵』原文〕
しかあれば、脇尊者、処胎六十年、はじめて出胎せり。
胎内の功夫クフウなからんや。出胎よりのち、八十にならんとするに、
はじめて出家学道をもとむ。
託胎タクタイよりのち、一百四十年なり。
出胎よりのち、八十にならんとするに、はじめて出家学道をもとむ。
託胎よりのち、一百四十年なり。
まことに不群フグンなりといへども、朽老キュウロウは阿誰アスイよりも朽老ならん。
処胎にて老年あり、出胎にても老年なり。
しかあれども、時人ジニンの譏嫌キケンをかへりみず、誓願の一志不退なれば、
わづかに三歳をふるに、辨道現成するなり。
たれか見賢思斉ケンケンシセイをゆるくせん、年老耄及モウギュウをうらむることなかれ。
〔『正法眼蔵』私訳〕
そうであるから、脇尊者は、母の胎内に在ること六十年にして、
はじめて母胎から出たので、母胎の中で修行していたのであろう。
(しかあれば、脇尊者、処胎六十年、はじめて出胎せり。胎内の功夫なからんや。)
母胎から出たのち、八十歳になろうとして、初めて出家し仏道を学ぶことを求めた。胎内に宿ってから、百四十年後のことであった。
(出胎よりのち、八十にならんとするに、はじめて出家学道をもとむ。
託胎よりのち、一百四十年なり。)
確かに抜群の勝れた者ではあるが、
老朽(年老いた役立たず)ということでは誰よりも老朽であろう。
(まことに不群なりといへども、朽老は阿誰よりも朽老ならん。)
胎内で六十年の老齢であり、母胎を出てからも八十年の老齢である。
(処胎にて老年なり、出胎にても老年なり。)
しかし、尊者は当時の人たちのそしりを受けることを気にせず、誓願の志を貫いたから、およそ三年の間に、坐禅修行の精進が成就したのである。
(しかあれども、時人の譏嫌をかへりみず、誓願の一志不退なれば、
わづかに三歳をふるに、辨道現成するなり。)
脇尊者のような賢者になりたいと思わないものはなかろう。
だから自分はもう年齢をとり老いぼれてしまったなどと恨んではならない。
(たれか見賢思斉をゆるくせん、年老耄及をうらむることなかれ。)
〔『聞書』私訳〕 /第十祖波栗湿縛尊者の段。
「生か、生にあらざるか」と言う、 この「生」を世間のように思ってはならない道理をこのように述べられるのである。まず、「老」「少」と思ってはならない。山河大地がみな「行持」であるからには、「行持」に趣くのであり、趣いたからには、いうまでもなく、年老いている若いなどという論は及ばないのである。また、「辨道」の中でこそ「生死」はしても、「生死」の上で、今「辨道」するのではないから、「生」が「生」ではないとも言われるのである。
〔『抄』私訳〕
「第十祖波栗湿縛尊者」の段、文の通りである。
胎内で六十年、出胎後八十年、総計百四十年、実に世にも稀なことである。「年老耄及モウギュウをうらむることなかれ」とある。とりわけ「志気シイキを専修センジュにして、辨道功夫すべきなり」である。《傍注:詳しくは文を見よ。》
合掌
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