〔『聞書』私訳〕 /「慈父大師釈迦牟尼仏」の段。
/「大地有情同時成道の行持あり」とは、「行持」は「成道」以前の時刻と思われ、「十九歳」以後、「三十歳」で「成道」する以前の行持を、「成道の行持」と言うことは、教行証を三つに立てない由来である。
/「一時一日も独処することなし」とは、仏道では、「独処」して林間の寂静なところに居るべきと言うのと、今の義は大変矛盾していると思われる。
ただ、仏の本意は一切衆生を教化し済度しようと思われ、 一切衆生を教化してみな仏道に入らしめんということであるから、「成道」したなら一時たりとも「独処」するはずがないのである。
仏が「独処」する時があれば、衆生のための頼りとはならないのである。「独処」は縁覚(独覚)乗の用いる義である。
/「閑供養を辞せず」と言う、 供養を辞退せず好むのは、近頃の僧に似ているが、無益な供養を辞退しないのは貪らないという意味である。
〔『抄』私訳〕 「慈父大師釈迦牟尼仏」の段。
文の通りである。仏は「一時一日も独処することなし。 人天の閑供養を辞せず、外道の訕謗を忍辱す」。これは衆生教化を第一とするからである。
合掌
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