〔『聞書』私訳〕
/「真応大師」の段。「典座入庫堂」とある。
「この話頭は、七仏已前事なり」とは、父母未生前の面目を坐禅の威儀と言うのは、世間の言葉をかりて言う法文ホウモンではないので、このように言うのである。
今の「入庫堂」は、「七仏」の行いであり、「已前」と指し示してはいけないようである。ただ、「仏」に前後があるはずがないので、ちょうど「入庫堂」の言葉が仏の説かれた言葉であるから、また「七仏已前」とも指し示すのである。
「七仏已前」は仏向上の儀であるから、「入庫堂」の「入」は入・住・出の入ではない。また、「入之一字も不用得(いらない)なるべし」である。その理由は、「典座」を「入る」ものとし、「庫堂」を住トドまる所と言ってはならない。「典座」も「入庫堂」も差別がないからである。
〔『抄〕私訳〕
「地蔵院真応大師云、「典座入庫堂」《典座庫堂に入る》。
この話頭は、七仏已前事なり」とある。
「典座入庫堂」は、「相見」の道理である。
「七仏已前事」とは、本有ホンウ(本来具えている)などというほどの言葉である。
合掌
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