〔『聞書』私訳〕
/「保福、挙問鵞湖」の段。
「什麼処望州亭、烏石嶺相見」と言う。
「与諸人相見了也」というほどの「相見」である。「光明」も「人」も
「望州亭」も「烏石嶺」も差別がないから、「相見」と言うのである。
/「鵞湖、驟歩して方丈に帰る」「保福便ち僧堂に入る」とある。
これはみな「相見底の道理なり、相見了也僧堂なり」と言うのである。
〔『抄』私訳〕
「保福、挙問鵞湖、僧堂前且置、什麼処望州亭、烏石嶺相見《保福(従展)、挙して鵞湖(智孚)に問ふ、僧堂前は且く置く、什麼の処か望州亭、烏石嶺の相見なる》。
鵞湖、驟歩帰方丈《鵞湖、驟歩して方丈に帰る》。
保福、便入僧堂《保福便ち僧堂に入る》。
いま帰方丈、入僧堂、これ話頭出身なり。相見底の道理なり、
相見了也僧堂なり」とある。
「保福」《「雪峰」の弟子》の問答の言葉は、文の通りである。
「望州亭」は国の名で、「烏石嶺」は所の名である。
先の段で、「雪峰」が「僧堂前」において「諸人と相見」する道理
を明らかにされるのである。
今は、「帰方丈」「入僧堂」の姿をもって、
「相見」の道理を表されるのである。
「方丈」と「鵞湖」の「相見」の道理は、
「鵞湖」と「鵞湖」が「相見」することである。
「保福入僧堂」は「僧堂」と「僧堂」が「相見」する道理に当たるのである。
「話頭出身」とは、「話頭」は言葉で、結局、よい言葉である。
世間でも、もののよいことを「出身」するなどと言う、
それほどの意味合いである。つまり褒める意味である。
合掌
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