〔『抄』私訳〕
「このゆゑに、古来より近代にいたるまで、坐禅銘を記せる老宿一両位あり、坐禅儀を撰せる老宿一両位あり。
坐禅箴を記せる老宿一両位あるなかに、坐禅銘、ともにとるべきところなし、坐禅儀、いまだその行履アンリにくらし。
坐禅をしらず、坐禅を単伝せざるともがらの記せるところなり。
景徳伝灯録ケイトクデントウロクにある坐禅箴、および嘉泰普灯録カタイフトウロクにあるところの坐禅銘等なり。
あはれむべし、十方の叢林に経歴キョウリャクして一生をすごすといへども、一坐の功夫あらざることを。
打坐すでになんぢにあらず、功夫さらにおのれと相見ショウケンせざることを。
これ坐禅のおのれが身心をきらふにあらず、真箇の功夫をこころざさず、倉卒ソウソツに迷酔せるによりてなり」
とある。
これらはみな用いるべきではない、と嫌われるのである。
合掌
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