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水が流れないのは車が行くことかと参ずべきである『第十二坐禅箴』12-4-2a

 〔『正法眼蔵』原文〕

たとへば、水流は車行なるか、水不流は車行なるか。


流は水の不行といふつべし、水の行は流にあらざるにもあるべきなり。


しかあれば、「車若不行」の道を参究せんには、

不行ありとも参ずべし、不行なしとも参ずべし、時なるべきがゆゑに




〔『正法眼蔵』私訳〕

例えば、水が流れるのは車が行くことか、

水が流れないのは車が行くことかと参ずべきである。

(たとへば、水流は車行なるか、水不流は車行なるか。)


流れるとは水が行かないとも言える、

水が行くのは流れでないのもあるのである。

(流は水の不行といふつべし、水の行は流にあらざるもあるべきなり。)


そうであるから、「車がもし行かなければ」の言葉を参じ究めるには、

行かないことがあるとも参ずべきであり、行かないことがないとも参ずべきである、それぞれその時その時の様子であるからである。

(しかあれば、「車若不行」の道を参究せんには、

不行ありとも参ずべし、不行なしとも参ずべし、時なるべきがゆゑに。)

〔不行あり、不行なし、どれもその時の在り様です。時は重なることがないのです。〕


水が流れないのは車が行くことかと参ずべきである『第十二坐禅箴』12-4-2b

                        合掌


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