〔聞書私訳〕
/この巻は特別な子細はない。
ただ、坐禅する進退威儀等を詳しく説かれるのである。
「諸縁を放捨し、万事を休息すべし。善也不思量なり、悪也不思量なり。心意識にあらず、念想観にあらず。作仏を図する事なかれ、坐臥を脱落すべし。」とある。
「諸縁を放捨し、万事を休息すべし」とあるので、諸々の縁務を払い捨て、万事を投げ捨てて坐禅せよと言うように思われる。確かにそのような意味もまったくないわけではないが、ひたすらこのように理解すると取捨の法と思われる。また、悪を制し善を教え諭しているようにも思われる。
但しこの言葉は、坐禅の姿が「諸縁を放捨し、万事を休息」している姿なのである。或いは、「心意識」を離れ、「念想観」を離れている姿なのである。
諸悪を置いてこれは悪いと制するのではなく、諸悪の姿が莫作(作すこと莫ナし)であると理解するようなことである。
合掌
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