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正7-4-3b『第七一顆明珠』第四段3b聞書抄〔「尽十方界は是れ一顆の明珠」をどのように理解したらいいか〕

 〔抄私訳〕

「『学人如何会得』。この道取は、たとひ僧の弄業識に相似せりとも、

大用現、是大軌則なり」とある。


この「学人如何会得」の言葉は、僧が風情なく、「どのように学人は心得るべきか」と言った言葉を、「弄業識に相似せり」と言うのである。


「大用現、是大軌則」とは、仏法の上の悟りの言葉である。今の「僧の弄業識」は悪い言葉で、繋縛ケバクの義である。


この「学人如何会得」の言葉は、例の「什麼物か恁麼来」を受けた言葉である。そのわけは、「明珠」のほかに「学人」はいないから「如何会得」の道理があるのである。また「明珠」を「会得」と談ずる義もあるから、「如何」という言葉があるのである。


「すすみて一尺水、一尺波イッシャクハを突兀トツコツならしむべし。

いはゆる一丈珠イチジョウシュ、一丈明メイなり。」とある。

これは、ただ同じことである道理を言うのである。


〔聞書私訳〕

/「一尺水、一尺波」とは、「大用現、是大軌則」によって引き寄せたことは、「水」「波」を体(本体)(作用)と取るのである。今、「水」「波」を体用とすることは、体用が異ならないことを明らかにするためである。


/「突兀トツコツならしむ」とは、体用ともに「一尺」であるということである。「一丈珠、一丈明」とは、「珠」に「明」をつけるのではなく、「珠」は「明」であり、「明」は「珠」なのである。


                           合掌


『第七一顆明珠』第四段3a原文私訳〔「尽十方界は是れ一顆の明珠」をどのように理解したらいいか〕

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