〔『正法眼蔵』原文〕
「学人ガクニン如何シュオ会得エトク」。
この道取は、たとひ僧の弄業識ロウゴッシキに相似ソウジせりとも、
大用現、是大軌則ゼダイキソクなり。
すすみて一尺水イッシャクスイ、一尺波イッシャクハを突兀トツコツならしむべし。
いはゆる一丈珠イチジョウシュ、一丈明メイなり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
「尽十方界は是れ一顆の明珠」を
仏道修行者はどのように理解したらいいでしょうか」というのは、
たとえ僧が業識(識別作用)を弄モテアソんでいるようであっても、
〔分からないから問いかけたのではなく、「如何会得」というところに〕
大きなはたらきが現前しており、これが学人が行うべき大規則だというのである。
(「学人如何会得」。この道取は、たとひ僧の弄業識に相似せりとも、大用現、是大軌則なり。)
〔この如何は、「什麼物ナニモノか恁麼来インモライ」と同様、
この「如何」で尽界をも一顆明珠をも、説き抜いているのである。〕
そこをもう一歩進めて、一尺の水(本体)は一尺の波(作用)であり、
一丈の珠(本体)は一丈の光明(作用)であると参じてみよ。
(すすみて一尺水、一尺波を突兀ならしむべし。いはゆる一丈珠、一丈明なり。)
〔水や珠や尽界は本体、波や明や光明は作用であり、
本体と作用は一体である。〕
合掌
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