〔『正法眼蔵』原文〕 祖宗いはく、 「釈迦牟尼仏 シャカムニブツ 、自従迦葉仏 ジジュウカショウブツ 所伝正法、 往兜率天 オウトソツテン 、化兜率陀天 ケトソツダテン 、于今有在 ウコンウザイ 《釈迦牟尼仏、迦葉仏の所 ミモト にして正法を伝へてより、 兜率天に往 ユ いて、兜率陀天を化 ケ して今に有在 マシマ す》」。 まことにしるべし、 人間の釈迦は、このとき滅度現の化 ケ をしけりといへども、 上天の釈迦は、「于今有在 ウコンウザイ 」にして化天するものなり。 学人 ガクニン しるべし、人間の釈迦の千変万化の道著 ドウヂャク あり行取 ギョウシュ あり説著 セッヂャク あるは、人間一隅の放光現瑞 ズイ なり。 おろかに上天の釈迦、その化さらに千品 ボン 万門ならん、 しらざるべからず。 〔抄私訳〕 このことは本当に疑わしいことである。その理由は、「釈迦」は既に入滅 (涅槃に入る) され、「兜率天 トソツテン 」には五十六億七千万年後に、弥勒 ミロク 菩薩が出現されると言うのに、入滅した「釈迦」が「兜率天」に往 イ ってその天上界で教化され「今に有在す」 (今もそこにおられる) というのは、本当に疑わしいことである。 もっとも、今の釈尊・迦葉・弥勒等の皮肉骨髄 (全身心) が通じる所は決して隔たりがないから、「上天の釈迦」とは弥勒を指すのである。 「学人 しるべし、人間の釈迦の千変万化の道著 あり行取 あり説著 あるは、人間一隅の放光現瑞 なり。おろかに上天の釈迦、その化さらに千品 万門ならん、しらざるべからず。」とある。 「人間の釈迦」とは、「滅度現」 (涅槃が現れる) の「釈迦」を指すのである。確かに、釈迦一代の言葉・説法・行などは、皆「人間一隅の放光現瑞」 (人間界の一隅で光明を放ち奇瑞を現わすこと) であるが、天上界に上がった「釈迦」の教化はどれほどであろうか。「千品 ホ 万門」 (幾千幾万の多様な教え) があると心得るべきである。 〔『正法眼蔵』私訳〕 歴代の祖師が言う、 「釈迦牟尼仏は迦葉仏のところで正法を伝えられてから、兜率天に往かれ、兜率天を教化して今もそこにおられる」と。 (祖宗いはく、「釈迦牟尼仏、自従迦葉仏所伝正法、往兜率天、化兜率陀天、于今有在《釈迦牟尼仏、迦葉仏の所にして正法を伝へてより、兜率天に往いて...