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正4-8-2『第四身心学道』第八段②〔身学道といふは、身にて学道するなり〕

 〔聞書私訳〕

/教家ジョウケ(経典を依りどころとする宗派)では、廻身向大(身をひるがえして仏道へ心を振り向けること)という言葉はとても使えない。そのわけは、どうしても深く真理を見極める力を心に置くからである。



〔『正法眼蔵』私訳〕

身学道とは、この身体がこのまま道〈真実の在り様〉を学ぶのであるということである。生身の身体の在り様がこのまま道を学ぶのである。

(身学道シンガクドウといふは、身にて学道するなり。赤肉団シャクニクダンの学道なり。)

〔この身体の在り様以外のところに行って道〈真実の在り様〉を求めても無理です。〕


仏祖方が身体で味わった内容は身体の在り様に学ぶことから来たものであり、道〈真実の在り様〉を学ぶことより来たものは、みなこの身体の在り様である。

(身は学道よりきたり、学道よりきたれるは、ともに身なり。)


十方の世界は全てこの身体の在り様であり、生死去来するものもみなこの真実の身体の在り様である。

(尽十方界、是箇真実人体なり、生死去来、真実人体なり。)


この身体を使って、十の悪行を離れ、八つ戒律を保ち、仏〈真実を自覚した人〉〈真実の在り様〉〈真実の在り様を学ぶ人〉の三宝に帰依し、家を捨て〈自我意識から離れ〉出家〈自我意識を中心とした生活から離れる〉する、これが真実の在り様〈道〉を学ぶことである。

(この身体をめぐらして、十悪をはなれ、八戒をたもち、三宝に帰依し捨家出家する、真実の学道なり。)


だから真実の身体と言うのである。

(このゆえに真実人体といふ。)


後から学ぶ者は、決して自然見ジネンケン(修行しなくても仏であるという見解)の外道〈実物の在り様に学ばず考えで学ぶ思想〉に同調してはならない。

(後学かならず自然見の外道に同ずることなかれ。)




〔評釈〕

私たちの五臓六腑、皮肉骨髄、眼耳鼻舌身は、四六時中実に様々に生命活動しています。過去も現在も未来もなく、何の思いも考えもなく、その時の状況に応じて今ここ今こことただ生命活動するだけです。


心臓は、一時も休まず、何のためでもなく何の思いもなく、ただただ今ここ今ここと鼓動を続け全身に新鮮な酸素を送り続けています。血管は酸素と栄養物を80兆個もの細胞に的確に届けています。血管の長さは全部広げると、地球を何周も回ると言います。何と細やかで微妙で壮大な生命活動ではないでしょうか。


私たちにはこのようなWONDERFULな身体が生まれながらに備わっており〈身は学道よりきたり、学道よりきたれるは、ともに身なり〉、POWERFULでMIRACLEなこの身体の生命活動から学ぶことができるのです。〈赤肉団の学道なり。〉

                             合掌



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