〔『正法眼蔵』原文〕
兀々地ゴツゴツチの思量ひとりにあらずといへども、薬山の道は其一ソノイツなり。
いはゆる「思量箇不思量底」なり。
思量の皮肉骨髄なるあり、不思量の皮肉骨髄なるあり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
ゴツゴツと坐して今の様子を会得した人は
薬山大師一人だけではないけれども、
その様子を表した薬山の言葉はその中で随一である。
(兀々地の思量ひとりにあらずといへども、薬山の道は其一なり。)
それは、この思量を離れている今の様子を思量する
(今このようにある、思量を離れている今の様子のままに居る)ということである。
(いはゆる思量箇不思量底なり。)
身心全体で思量している様子もあれば、
身心全体で思量を離れている様子もあるということである。
(思量の皮肉骨髄なるあり、不思量の皮肉骨髄なるあり。)
合掌
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