スキップしてメイン コンテンツに移動

身心全体で思量している様子もあれば、身心全体で思量を離れている様子もあるということである『第十二坐禅箴』12-1-2a

 〔『正法眼蔵』原文〕

兀々地ゴツゴツの思量ひとりにあらずといへども、薬山の道は其一ソノイツなり。


いはゆる「思量箇不思量底」なり。


思量の皮肉骨髄なるあり、不思量の皮肉骨髄なるあり。




〔『正法眼蔵』私訳〕

ゴツゴツと坐して今の様子を会得した人は

山大師一人だけではないけれども、

その様子を表した薬山の言葉はその中で随一である。

(兀々地の思量ひとりにあらずといへども、薬山の道は其一なり。)


それは、この思量を離れている今の様子を思量する

(今このようにある、思量を離れている今の様子のままに居る)ということである。

(いはゆる思量箇不思量底なり。)


身心全体で思量している様子もあれば、

身心全体で思量を離れている様子もあるということである。

(思量の皮肉骨髄なるあり、不思量の皮肉骨髄なるあり。)



                        合掌



ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。                       


     ↓               ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ   にほんブログ村PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント