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正8-2『第八心不可得』第二段〔まだ真実の言葉を一言も述べたことのない者を許してはならない〕

〔『正法眼蔵』原文〕  

 現在大宋国にある雲衲ウンノウ霞袂カベイ

いたづらに徳山の対不得タイフトクをわらひ、

婆子バスが霊利リンリなることをほむるは、

いとはかなかるべし、おろかなるなり。


そのゆゑは、いま婆子を疑著ギヂャクする、ゆゑなきにあらず。


いはゆるそのちなみ、徳山道ドウ不得ならんに、

婆子なんぞ徳山にむかうていはざる、「和尚いま道不得なり、

さらに老婆にとふべし、老婆かへりて和尚のためにいふべし」。


 かくのごとくいひて、徳山の問をえて、

徳山にむかうていふこと道是ドウゼならば、

婆子まことにその人なりといふことあらはるべし。


問著モンヂャクたとひありとも、いまだ道処あらず。


むかしよりいまだ一語をも道著せざるをその人といふこと、

いまだあらず。


いたづらなる自称の始終、その益なき、

徳山のむかしにてみるべし。


いまだ道処なきものをゆるすべからざること、婆子にてしるべし。



〔抄私訳〕

これは、「徳山」も「婆子」もいずれも「その人」(道を得た人)ではないと道元禅師が斥け、いかにもその趣旨がある。


「徳山」も問わず、「婆子」も言わないから、道元禅師が、

「こゝろみに徳山にかはりていふべし」といって述べたのである。




〔『正法眼蔵』私訳〕  

 現在、大宋国にいる多くの修行僧たちは、

徒らに、徳山が答えられなかったことを笑い、老婆が勝れて賢こいことを

褒めているが、大変分別が足りず、愚かなことである。

(現在大宋国にある雲衲霞袂、いたづらに徳山の対不得をわらひ、

婆子が霊利なることをほむるは、いとはかなかるべし、おろかなるなり。)


その理由ワケは、

老婆の力を疑う理由がないわけではないからである。

(そのゆゑは、婆子を疑著する、ゆゑなきにあらず。)


すなわちその時、徳山が答えられなかったときに、

老婆はどうして徳山に向かって、「和尚さんは今答えられませんでしたね。それなら、この老婆に尋ねなさい。この老婆が逆に、

和尚さんに教えて進ぜましょう」と言わなかったのか。

(いはゆるそのちなみ、徳山道不得ならんに婆子なんぞ徳山にむかうていはざる、

「和尚いま道不得なり、さらに老婆にとふべし、老婆かへりて和尚のためにいふべし」。)


 このように言って、徳山の問いを待って、

徳山に向かって正しく答えていたなら、

老婆が真に道を得た人であるということがはっきりしたであろう。

(かくのごとくいひて、徳山の問をえて、徳山にむかうていふこと道是ならば、

婆子まことにその人なりといいふことあらはるべし。)


しかし問うことはしたが、まだ真実の言葉を述べていない。

昔から、まだ真実の言葉を一言も述べたことのない者を、

道を得た人ということはまだないのである。

(問著たとひありとも、いまだ道処あらず。

むかしよりいまだ一語をも道著せざるをその人といふこと、いまだあらず。)


徒らに「周金剛王」とか「通達せざるといふことなし」と自称しても、

何の役にも立たないことは徳山の昔の例で見ることができる。

(いたづらなる自称の始終、その益なき、徳山のむかしにてみるべし。)


まだ真実の言葉を述べたことのない者を許してはならないことは、

この老婆の例で分かるのである。

(いまだ道処なきものをゆるすべからざること、婆子にてしるべし。)



                       合掌



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正7-6-3a『第七一顆明珠』第六段3a 原文私訳〔どうあろうが、すべてはいつもみな明珠なのである〕

  〔『正法眼蔵』原文〕   既是恁麼 キゼインモ は、尽十方界にてある一顆明珠なり。 しかあればすなはち、 転不転のおもてをかへゆくににたれども、すなはち明珠なり。 まさにたまはかくありけるとしる、すなはちこれ明珠なり。 明珠はかくのごとくきこゆる声色 ショウシキ あり。 既得恁麼 キトクインモ なるには、われは明珠にはあらじとたどらるゝは、 たまにはあらじとうたがはざるべきなり。 たどりうたがひ、取舎 シュシャ する作無作 サムサ も、たゞしばらく小量の 見 ケン なり、さらに小量に相似 ソウジ ならしむるのみなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 酒に酔いつぶれている (全身仏法になり一顆明珠になり切っている)とき に 珠を与える親友 (一顆明珠である自己) がいて、 親友 (一顆明珠である自己) には必ず珠を与えるのである。 (酔酒 スイシュ の時節にたまをあたふる親友あり、 親友にはかならずたまをあたふべし。) 珠を懸けられる時は、必ず酒に酔いつぶれている (全身仏法になり一顆明珠になり切っている) のである。 (たまをかけらるゝ時節、かならず酔酒するなり。) 既にこのようであることは、 十方のすべての世界である一個の明珠なのである。 (既是恁麼 キゼインモ は、尽十方界にてある一顆明珠なり。) そうであるから、転 (迷ったり) 不転 (悟ったり) と 表面を変るように見えても、中身は明珠なのである。 (しかあればすなはち、転不転のおもてをかへゆくににたれども、 すなはち明珠なり。) まさに珠はこうであると知る、すなわち これが明珠なのである。 (まさにたまはかくありけるとしる、すなはちこれ明珠なり。) 明珠にはこのように (迷っても悟ってもみな明珠だと) 知られるありさま (声色) があるのである。 (明珠はかくのごとくきこゆる声色 ショウシキ あり。) 既にこのようであるので、自分は明珠ではないと戸惑っても、 明珠ではないと疑ってはならない。 (既得恁麼 キトクインモ なるには、われは明珠にはあらじとたどらるゝは、 たまにはあらじとうたがはざるべきなり。) 戸惑い疑い、あれこれうろたえ回るありさまも、 ただしばらくの小さな考えである。 さらに言えば、明珠が小さな考えに見せかけているに過ぎないのである。 (たどりうたがひ、取舎 シュシャ する作無作 ...

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