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正6-17-1『第六行仏威儀』第十七段① 〔人間界を取り上げて仏法としてはならない〕

 〔『正法眼蔵』原文〕

 しかあればすなはち、ただ人間を挙して仏法とし、人法を挙して仏法を局量キョクリョウせる家門、かれこれともに仏子と許可することなかれ。


これただ業報ゴッポウの衆生なり。


いまだ身心シンジンの聞法モンポウあるにあらず、いまだ行道せる身心なし。


従法生にあらず、従法滅にあらず、従法見にあらず、

従法聞にあらず、従法行住坐臥にあらず。


かくのごとくの党類、かつて法の潤益ジュンエキなし。


行仏は本覚を愛せず、始覚を愛せず、

無覚にあらず、有覚にあらずといふ、すなはちこの道理なり。



〔抄私訳〕

「ただ人間を挙して仏法とし、人法を挙して仏法を局量せる家門、かれこれともに仏子と許可することなかれ。これただ業報の衆生なり。」とある。

文の通りである。



〔『正法眼蔵』私訳〕

そうであるから、ただ人間界を取り上げて仏法としたり、

人間の狭い考えで仏法を推し量る家門は、

どれもこれもみな仏弟子と許してはならない。

(しかあればすなはち、ただ人間を挙して仏法とし、

人法を挙して仏法を局量せる家門、かれこれともに仏子と許可することなかれ。)


これはただ業の報いを受けて現れただけの衆生である。

(これただ業法の衆生なり。)


まだ身心で仏法を聞いたことがなく、

まだ仏道を行じた身心がないのである。

(いまだ身心の聞法あるにあらず、いまだ行道せる身心なし。)


法によって生まれるのでもなく、法によって死ぬのでもなく、

法によって見るのでもなく、法によって聞くのでもなく、

法によって行住坐臥するのでもない。

(従法生にあらず、従法滅にあらず、従法見にあらず、

従法聞にあらず、従法行住坐臥にあらず。)


このような連中は、今まで仏法の利益リヤクにあずかったことがないのである。

(かくのごとくの党類、かつて法の潤益なし。)


行仏(今の様子を行ずる行仏という名の仏)は、本覚(一切衆生に本来的に具有されている覚り)にもとらわれず、始覚(修行して始めて得る覚り)にもとらわれず、無覚(覚知する働きが無い)でもなく、有覚(覚知する働きが有る)でもないという、

これが行仏の道理である。

(行仏は本覚を愛せず、始覚を愛せず、無覚にあらず、有覚にあらずといふ、

すなはちこの道理なり。)

〔本覚も始覚も概念として倚りかかれば病の一つだ。概念は死物である。

行仏は概念に倚りかかっていては行仏にならない。〕



                         合掌


                         

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