〔『正法眼蔵』原文〕
仏道を説著セッヂャクするに、胎生タイショウ・化生ケショウ等は仏道の行履アンリなりといへども、いまだ湿生シッショウ・卵生ランショウ等を道取せず。
いはんやこの胎卵湿化生タイランシツケショウのほかになほ生あること、
夢也未見在ムヤミケンザイなり。
いかにいはんや胎卵湿化生のほかに、胎卵湿化生あることを見聞覚知せんや。
いま仏々祖々の大道には、胎湿卵化生のほかの胎湿卵化あること、
不曾蔵に正伝せり、親密に正伝せり。
この道得、きかずならはず、しらずあきらめざらんは、なにの党類なりとかせん。
〔抄私訳〕
「胎生」「化生」は一般にこれを言う。仏も摩耶夫人の胎内より出られた証拠は
明かである。「湿生」「卵生」等は、仏道でまだ言わない。
「いはんやこの胎卵湿化生のほかになほ生あること」とは、
全機(全分の働き)の生死の事である。
また、「胎卵湿化生のほかに、胎卵湿化生あることを見聞覚知せんや」とは、
全機の生を「胎卵湿化」と説く意味合いを言うのである。
この道理を「不曽蔵に正伝せり、親密に正伝せり」と解釈されるのである。
アムラ女は木の股より生まれた。また、頂生王チョウショウオウと言った王は、父の頭頂にできた腫れ物がふくれて生まれた輪王(武力によらず法によって世界を治める帝王)である。これらは皆「湿生」か。
〔聞書私訳〕
/「胎生」「化生」には仏を説き、仏道には「湿生」「卵生」を許さない。
業力が深いので仏道に遠いというのは教家の意である。
/四生のほかの生とは/仏の口より生まれる生/法の化より生まれる生/また心に生じる種々の法より生まれる生がある。
/或いは、法華を父とし、般若を母とするという生がある。
/或いは、自身を父とし、自身を母とするという生がある。
/或いは、汝は吾れの皮肉骨髄を得たという生もある。
/或いは、尽十方界真実人体(全十方世界はこの真実の人体である)の生もある。
〔『正法眼蔵』私訳〕
仏道を説くのに、胎生(母胎から生まれるもの)・化生(縁に依って忽然と生まれるもの)などは仏道の通説であるが、
まだ湿生(湿気から生まれるもの)・卵生(卵から生まれるもの)等を言及することはない。
(仏道を説著するに、胎生・化生等は仏道の行履なりといへども、いまだ湿生・卵生等を道取せず。)
いわんやこの胎卵湿化の四生のほかにまだ生があることは、
まだ夢にも見たことがない。
(いはんやこの胎卵湿化生のほかになほ生あること、夢也未見在ムヤミケンザイなり。)
まして、胎卵湿化の四生のほかに胎卵湿化の四生があることを
見聞きし知るはずがない。
(いかにいはんや胎卵湿化生のほかに、胎卵湿化生あることを見聞覚知せんや。)
今仏祖の大道では、胎卵湿化の四生のほかの四生があることを、
隠すことなく正しく伝えており、親密に正しく伝えてきている。
(いま仏々祖々の大道には、胎卵湿化生のほかの胎卵湿化生あること、
不曾蔵に正伝せり、親密に正伝せり。)
合掌
追伸
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