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正3-7-4①『第三仏性』第七段その4①〔これは一枚の画に描いた餅のようですね〕


〔『正法眼蔵』本文〕 

予、雲遊ウンユウのそのかみ、大宋国にいたる。


嘉定カテイ十六年癸未ミズノトヒツジ秋のころ、はじめて阿育王山アイクオウザン広利禅寺にいたる。


西廊の壁間に、西天東地三十三祖の変相を画せるをみる。


このとき領覧リョウランなし。


のちに宝慶ホウキョウ元年 乙酉キノトトリ夏安居ゲアンゴのなかに、かさねていたるに、西蜀セイショクの成桂ジョウケイ知客シカと、廊下を行歩ギョウブするついでに、

予、知客にとふ、「這箇シャコ什麽シモ変相《這箇は是れ什麽ナニの変相ぞ》」。


知客いはく、「龍樹身現円月相《龍樹の身現円月相なり》」。


かく道取する顔色に鼻孔ビクウなし、声裏ショウリに語句なし。


予いはく、「真箇是一枚画餅ガビョウ相似《真箇に是れ一枚の画餅に相似せり》」。


ときに知客、大笑すといへども、笑裏無刀、破画餅不得《笑裏に刀無く、画餅を破すること不得》なり。


すなはち知客と予と、舎利殿および六殊勝地等にいたるあひだ、数番挙揚すれども、疑著ギヂャクするにもおよばず。


おのづから下語アギョする僧侶も、おほく都不是なり。


予いはく、「堂頭ドウチョウにとうてみん」。ときに堂頭は大光和尚なり。


知客いはく、「他無鼻孔、対不得。如何得知《他は鼻孔無し、対ゑ得じ、如何でか知ることを得ん》」。


ゆゑに光老にとはず。什麼道取すれども、桂兄ケイヒンも会すべからず。


聞説する皮袋も道取せるなし。



〔抄私訳〕

・「予、雲遊」以下のお言葉は文の通りで、子細はない。



〔『正法眼蔵』私訳〕

私が、求法グホウをしていた頃、大宋国に渡った。(予、雲遊ウンユウのそのかみ、大宋国にいたる。)


嘉定十六年(西暦1223年)の秋頃、はじめて阿育王山広利禅寺に行った。(嘉定カテイ十六年癸未ミズノトヒツジ秋のころ、はじめて阿育王山アイクオウザン広利禅寺にいたる。


西の廊下の壁に、インドとシナの三十三人の祖師が様々な姿で描かれているのを見たが、その時は、意味が分からなかった。(西廊の壁間に、西天東地三十三祖の変相を画せるをみる。このとき領覧リョウランなし。)


そののち、宝慶元年1225年)乙酉の夏安居(夏の三ヶ月の集中修行期間)の期間中に、もう一度行ったが、四川省出身の成桂という知客シカ賓客の接待役)和尚と廊下を歩いた折りに、私は、知客に「これは何の画ですか」と尋ねた。(のちに宝慶ホウキョウ元年 乙酉キノトトリ夏安居ゲアンゴのなかに、かさねていたるに、西蜀セイショクの成桂ジョウケイ知客シカと、廊下を行歩ギョウブするついでに、予、知客にとふ、「這箇シャコは是れ什麽ナニの変相ぞ」。)


知客は、「龍樹の身に円月の相を現した画です」と答えた。(知客いはく、「龍樹の身現円月相なり」。)


このように言う知客の顔つきには、鼻の穴がないように肝心なものが欠けており、ただの説明だけで、その意味が分かって言っているのではないようであった。(かく道取する顔色に鼻孔ビクウなし、声裏ショウリに語句なし。)


私は、「本当にこれは一枚の画に描いた餅のようですね」と言った。(予いはく、「真箇に是れ一枚の画餅に相似せり」)。


すると知客は、大声で笑ったが、笑いの内に鋭い気は感じられず、画に描いた餅と言われたことを論破することは出来なかった。(ときに知客、大笑すといへども、笑裏に刀無く、画餅を破すること不得なり。)


それから知客と私は、舎利殿(仏骨を収めた建物)や山内の六ケ所の名勝地などに行く間に、何度か画の話題に触れてみたが、疑問に思う気配すらなかった。(すなはち知客と予と、舎利殿および六殊勝地等にいたるあひだ、数番挙揚すれども、疑著ギヂャクするにもおよばず。)


まれに自分の見解を述べる僧侶もいたが、みなだめであった。(おのづから下語アギョする僧侶も、おほく都不是なり。)


私は、「住職にたずねてみよう」と言った。(予いはく、「堂頭ドウチョウにとうてみん」。)


その時の住職は大光和尚であった。(ときに堂頭は大光和尚なり。)


知客は、「あの人は鼻の穴がないように肝心な所が分からないから、答えることはできないでしょう。どうして知ることができましょうか」と言った。(知客いはく、「他は鼻孔無し、対へ得じ、如何でか知ることを得ん」。)


だから、大光和尚に尋ねなかった。(ゆゑに光老にとはず。)


そのように言った成桂自身も分かっているはずがなく、この話を聞いていた人たちも、何も言わなかった。(什麼道取すれども、桂兄ケイヒンも会すべからず。聞説する皮袋も道取せるなし。)


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正7-6-3a『第七一顆明珠』第六段3a 原文私訳〔どうあろうが、すべてはいつもみな明珠なのである〕

  〔『正法眼蔵』原文〕   既是恁麼 キゼインモ は、尽十方界にてある一顆明珠なり。 しかあればすなはち、 転不転のおもてをかへゆくににたれども、すなはち明珠なり。 まさにたまはかくありけるとしる、すなはちこれ明珠なり。 明珠はかくのごとくきこゆる声色 ショウシキ あり。 既得恁麼 キトクインモ なるには、われは明珠にはあらじとたどらるゝは、 たまにはあらじとうたがはざるべきなり。 たどりうたがひ、取舎 シュシャ する作無作 サムサ も、たゞしばらく小量の 見 ケン なり、さらに小量に相似 ソウジ ならしむるのみなり。 〔『正法眼蔵』私訳〕 酒に酔いつぶれている (全身仏法になり一顆明珠になり切っている)とき に 珠を与える親友 (一顆明珠である自己) がいて、 親友 (一顆明珠である自己) には必ず珠を与えるのである。 (酔酒 スイシュ の時節にたまをあたふる親友あり、 親友にはかならずたまをあたふべし。) 珠を懸けられる時は、必ず酒に酔いつぶれている (全身仏法になり一顆明珠になり切っている) のである。 (たまをかけらるゝ時節、かならず酔酒するなり。) 既にこのようであることは、 十方のすべての世界である一個の明珠なのである。 (既是恁麼 キゼインモ は、尽十方界にてある一顆明珠なり。) そうであるから、転 (迷ったり) 不転 (悟ったり) と 表面を変るように見えても、中身は明珠なのである。 (しかあればすなはち、転不転のおもてをかへゆくににたれども、 すなはち明珠なり。) まさに珠はこうであると知る、すなわち これが明珠なのである。 (まさにたまはかくありけるとしる、すなはちこれ明珠なり。) 明珠にはこのように (迷っても悟ってもみな明珠だと) 知られるありさま (声色) があるのである。 (明珠はかくのごとくきこゆる声色 ショウシキ あり。) 既にこのようであるので、自分は明珠ではないと戸惑っても、 明珠ではないと疑ってはならない。 (既得恁麼 キトクインモ なるには、われは明珠にはあらじとたどらるゝは、 たまにはあらじとうたがはざるべきなり。) 戸惑い疑い、あれこれうろたえ回るありさまも、 ただしばらくの小さな考えである。 さらに言えば、明珠が小さな考えに見せかけているに過ぎないのである。 (たどりうたがひ、取舎 シュシャ する作無作 ...

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