〔『正法眼蔵』本文〕
往往オウオウに古老先徳コロウセントク、あるいは西天サイテンに往還オウカンし、あるいは人天ニンデンを化道ケドウする、
漢唐より宋朝ソウチョウにいたるまで、稲麻竹葦トウマチクイのごとくなる、おほく風火の動著ドウジャクを仏性の知覚とおもへる、あはれむべし、
学道転疎ガクドウ テンソなるによりて、いまの失誤あり。
いま仏道の晩学初心バンガクショシン、しかあるべからず。
〔抄私訳〕
・また、古イニシエのことに通じている老僧や昔の有徳の僧が理解するところを挙げて、これを斥けられるのは、文の通りである。
〔『正法眼蔵』私訳〕
しばしば、古イニシエのことに通じている老僧や昔の有徳の僧は、或いはインドに往来したり、或いは人間界や天上界の衆生を教化する。(往往オウオウに古老先徳コロウセントク、あるいは西天サイテンに往還オウカンし、あるいは人天ニンデンを化道ケドウする、)
そのような人は、漢や唐より宋朝に至るまで、稲麻竹葦のように数限りなく多いが、多くは風火の動著〈環境に触れて感覚器官が動くこと〉を仏性の知覚と思っている。哀れむべきことである。(漢唐より宋朝ソウチョウにいたるまで、稲麻竹葦トウマチクイのごとくなる、おほく風火の動著ドウジャクを仏性の知覚とおもへる、あはれむべし、)
仏道を学修することが極めて疎オロソかであるから、このような過ちがあるのである。(学道転疎ガクドウ テンソなるによりて、いまの失誤あり。)
今、仏道を学ぶ後進の者も初心の者も、このようであってはならない。(いま仏道の晩学初心、しかあるべからず。)
*注:《 》内は御抄編者の補足。〔 〕内は筆者の補足。( )内は辞書的注釈。 〈 〉独自注釈。
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