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後半正3『第三仏性』全十四段の総まとめ 完了

 ◯第八段

斉安セイアン国師いはく、「一切衆生有仏性」。

斉安国師は言う、「一切の衆生は有であり仏性である。」


◯第九段

ダイイサン大円ダイエン禅師いはく、「一切衆生無仏性」。

山の大円禅師は言う、「一切の衆生は無であり仏性である」。   


◯第十段

百丈山ヒャクジョウサン大智禅師いはく、「仏はこれ最上乗なり、これ上々智なり、これ仏道立此人リッシニンなり」

百丈山の大智禅師は言う、「仏は最上の乗り物である、比較するものがない智慧である、仏道によって生きている人である」。


◯第十一段

黄檗オウバクいはく、「十二時中一物にも依倚エイせずして始得シトクならん」

黄檗は言う、「四六時中何ものにも寄りかからなければ、初めて仏性を明らかに見ることができるのだ」。


◯第十二段

趙州ジョウシュウいはく、「無」。

趙州は言う、〔「犬に仏性が有るか無いか?」と問われた時、〕趙州は、「無」と言った。


◯第十三段

趙州いはく、「有」。

〔「犬に仏性が有るか無いか?」と問われた時、〕趙州は、「有」と言った。


◯第十四段

・長沙チョウサ和尚いはく、「莫妄想マクモウソウ」。

〔ミミズが切られて二つとなり、二つとも動いています。さて、仏性はどちらにあるのでしょうかと問われた時、〕長沙和尚は、「妄想することなかれ」と言った。


・道元禅師いはく、向上に道取するとき、作麼生ソモサンならんかこれ仏性。また委悉イシツすや。三頭八臂サンズハッピ」。

道元禅師は言う、「一歩進めて言うと、どんなものもみな仏性である。さらに委しく言うなら、仏性は頭が三つで臂ヒジが八本である。百千万境の一々が仏性、一段も両段も、散も未散も、暫時も不暫時も、一つとして仏性でないものはないのだ」。


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