〔『正法眼蔵』原文〕
また滅と滅と相待するにあらず、相対するにあらず。
滅も初中後滅なり、相逢不拈出、挙意便知有《相逢ふては拈出せず、
意を挙すれば便ち有ることを知る》なり。
従来の起処に忽然として滅すとも、起の滅にあらず、法の滅なり。
法の滅なるがゆゑに不相対待なり。
たとひ滅の是即にもあれ、たとひ起の是即にもあれ、
但以海印三昧、名為衆法なり。
是即の修証はなきにあらず、只此不染汚、名為海印三昧なり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
また滅と滅が相い待つことはなく、相い対することもないのである。
〔また滅と滅と相待するにあらず、相対するにあらず。〕
滅も初めも中も後も滅であり、起と滅は逢っても一語も出ないが、
その意中は自ずから通じているのである。
〔滅も初中後滅なり、相逢不拈出、挙意便知有《相逢ふては拈出せず、意を挙すれば便ち有ることを知る》なり。〕
〔起と滅の一方究尽を語るには及ばない。〕
すでに起こった処で突然法が滅しても、
起から滅したのではなく、ただ法が滅しただけなのである。
〔従来の起処に忽然として滅すとも、起の滅にあらず、法の滅なり。〕
法が滅しただけであるから、
起・滅は相い対し、相い待つことはないのである。
〔法の滅なるがゆゑに不相対待なり。〕
たとえ滅の「是即名為海印三昧(これ即ち名付けて海印三昧と為す)」であっても、たとえ起の「是即名為海印三昧」であっても、「ただ海印三昧(三昧の海にあらゆるものが映る諸仏の境地)を名付けて衆法と為す」と言うのである。
〔たとひ滅の是即にもあれ、たとひ起の是即にもあれ、但以海印三昧、名為衆法なり。〕
そのまま海印三昧であることを修証することがないわけではないが、「ただその修証のために汚染されないのを、名付けて海印三昧と為す」のである。
〔是即の修証はなきにあらず、只此不染汚、名為海印三昧なり。〕
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