〔『正法眼蔵』原文〕
この滅に多般の手眼を荘厳せり。
いはゆる無上大涅槃なり、いはゆる謂之死イシシ《之を死と謂ふ》なり、
いはゆる執為断シュウイダン《執して断と為す》なり、
いはゆる為所住《所住と為す》なり。
いはゆるかくのごとくの許多手眼、しかしながら滅の功徳なり。
滅の我なる時節に不言なると、起の我なる時節に不言なるとは、
不言の同生ありとも、同死の不言にはあらざるべし。
〔『正法眼蔵』私訳〕
この滅の上で無量の功徳を荘厳ショウゴンしているのである。
(この滅に多般の手眼を荘厳せり。)
それはこの上ない偉大な悟りであり、これを死と言うのであり、
執して断滅とするのであり、仏の住する所とするのである。
(いはゆる無上大涅槃なり、いはゆる之を死と謂ふなり、
いはゆる執して断と為すなり、いはゆる所住と為すなり。)
このようにいろいろとある功徳は、ことごとくみな滅の功徳なのである。
(いはゆるかくのごとくの許多手眼、しかしながら滅の功徳なり。)
滅の我れである時に我滅すと言わないことと、
起の我れである時に我起こると言わないことと、
言わない点で同じであるが、死と同じ言わないことではないのである。
(滅の我なる時節に不言なると、起の我なる時節に不言なるとは、
不言の同生ありとも、同死の不言にはあらざるべし。)
合掌
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