〔『正法眼蔵』原文〕
南嶽ナンガクときに一塼イッセンをとりて石上にあててとぐ。
大寂ダイジャクつひにとふにいはく、
「師、作什麼ソシモ《師、什麼ナニをか作ナす》」。
まことに、たれかこれを磨塼マセンとみざらん、たれかこれを磨塼とみん。
しかあれども、磨塼はかくのごとく「作什麼」と問モンせられきたるなり。
「作什麼」なるは、かならず磨塼なり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
南嶽はその時一枚の塼カワラを取って石の上に当てて研いた。
(南嶽ときに一塼をとりて石上にあててとぐ。)
馬祖はついに問うて言った、「師匠、何をしているのですか」。
(大寂つひにとふにいはく、師、作什麼《師、什麼ナニをか作ナす》。)
実際、誰がこれを瓦を磨くと見ないであろう、
誰がこれを瓦を磨くと見るであろう。
(まことに、たれかこれを磨塼とみざらん、たれかこれを磨塼とみん。)
そうであるが、瓦を磨くことはその通り見えているのに、
このように「何をしているのですか」と問われてきたのである。
(しかあれども、磨塼はかくのごとく作什麼と問せられきたるなり。)
「何をしているのですか」であるのは、
必ず見えている通り瓦を磨いているということである。
(作什麼なるは、かならず磨塼なり。)
合掌
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