大師いはく、「非思量」。
いはゆる非思量を使用すること玲瓏レイロウなりといへども、
不思量底を思量するには、かならず非思量をもちゐるなり。
非思量にたれあり、たれ我を保任す。
兀々地たとひ我なりとも、思量のみにあらず、兀々地を挙頭コトウするなり。
兀々地たとひ兀々地なりとも、兀々地いかでか兀々地を思量せん。
しかあればすなはち、兀々地は仏量にあらず、法量にあらず、悟量にあらず、会量エリョウにあらざるなり。
薬山かくのごとく単伝すること、すでに釈迦牟尼仏より直下ジキゲ三十六代なり。
薬山より向上をたづぬるに、三十六代に釈迦牟尼仏あり。
かくのごとく正伝せる、すでに思量箇不思量底あり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
大師は言う、「思量ではない実物の様子」。
(大師いはく、「非思量」。)
ここで言う非思量を用いることははっきりしているけれども、
不思量底(思量していない今の様子)を思量するには、
必ず非思量(思量ではない実物の様子)を用いるのである。
(いはゆる非思量を使用すること玲瓏なりといへども、
不思量底を思量するには、かならず非思量をもちゐるなり。)
非思量は誰でもない自分の不思量底と思量の様子であり、
不思量底と思量の自分(だれ)が非思量の生命活動である我をずっと保っているのである。
(非思量にたれあり、たれ我を保任す。)
兀々地(岩のようにゴツゴツと坐っている様子=坐禅)がたとえ非思量の生命活動である我であっても、思量だけではなく、兀々地を挙げるのである。
(兀々地たとひ我なりとも、思量のみにあらず、兀々地を挙頭するなり。)
兀々地はたとえ兀々地であっても、
兀々地は兀々地を思量することはできない。
(兀々地たとひ兀々地なりとも、兀々地いかでか兀々地を思量せん。)
そうであるから、兀々地は仏量(成仏して分かる程度の量)ではなく、法量(仏法の真実として分かる程度の量)でもなく、悟量(悟りを開いて分かる程度の量)でもなく、会量〈理解して分かる程度の量〉でもないのである。
(しかあればすなはち、兀々地は仏量にあらず、法量にあらず、悟量にあらず、会量にあらざるなり。)
薬山大師がこのように単伝(そのものがそのものを伝えること)したのは、
すでに釈迦牟尼仏より真っ直ぐに下って三十六代目である。
(薬山かくのごとく単伝すること、すでに釈迦牟尼仏より直下三十六代なり。)
薬山よりさかのぼって、三十六代前に釈迦牟尼仏があるのである。
(薬山より向上をたづぬるに、三十六代に釈迦牟尼仏あり。)
このように正しく伝えられてきたことが、
まさしく「この不思量底を思量する」(今このようにある、思量していない今の様子のままに居る)ということなのである。
(かくのごとく正伝せる、すでに思量箇不思量底あり。)
合掌
非思量=思量ではない実物の様子 『第十二坐禅箴』12-1-4b
赤ん坊は100%非思量の領域で生きている 『第十二坐禅箴』12-1-4c 〔『正法眼蔵』評釈〕
ランキングに参加中です。よろしければクリックをお願いします。
コメント
コメントを投稿