〔『正法眼蔵』原文〕
「此法滅時、不言我滅」。
まさしく「不言我滅」のときは、これ「此法滅時」なり。
滅は法の滅なり。
滅なりといへども法なるべし。
法なるゆゑに客塵にあらず、客塵にあらざるゆゑに不染汚なり。
たゞこの不染汚、すなはち諸仏諸祖なり。
「汝もかくのごとし」といふ、たれか汝にあらざらん。
前念後念あるはみな汝なるべし。
「吾もかくのごとし」といふ、たれか吾にあらざらん。
前念後念はみな吾なるがゆゑに。
〔『正法眼蔵』私訳〕
「この法が滅する時、我れが滅すると言わない」と言う。
(「此法滅時、不言我滅」。)
正しく「我れが滅すると言わない」時は、
それは「この法が滅する時」である。
(まさしく「不言我滅」のときは、これ「此法滅時」なり。)
滅するのは法が滅するのである。
(滅は法の滅なり。)
滅するといっても法なのである。
(滅なりといへども法なるべし。)
法であるから煩悩ではない、
煩悩でないから思量分別に汚されることがないのである。
(法なるゆゑに客塵にあらず、客塵にあらざるゆゑに不染汚なり。)
ただこの思量分別に汚されることがないところが、
諸仏諸祖が諸仏諸祖である所以である。
(たゞこの不染汚、すなはち諸仏諸祖なり。)
「汝もこの通りである」と言う時、汝でないものはないのである。
(「汝もかくのごとし」といふ、たれか汝にあらざらん。)
前念後念がある者はみな汝なのである。
(前念後念あるはみな汝なるべし。)
「吾れもこの通りである」と言う時、
吾れでないものはないのである。
(吾もかくのごとしといふ、たれか吾にあらざらん。)
前念後念のある者はみな吾れであるからである。
(前念後念はみな吾なるがゆゑに。)
この法が滅する時、我れが滅すると言わない『第十三海印三昧』13-8-1b
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