〔『正法眼蔵』原文〕
しかあれば、認賊為子ニンゾクイシを却迷とするにあらず、
認子為賊ニンシイゾクを却迷とするにあらず。
大悟は認賊為賊なるべし、却迷は認子為子なり。
多処添些子タショテンシャスを大悟とす。
少処減些子ショウショゲンシャス、これ却迷なり。
しかあれば、却迷者を摸著モヂャクして把定了ハジョウリョウに
大悟底人ダイゴテイニンに相逢ソウホウすべし。
而今ニコンの自己、これ却迷なるか、不迷なるか、𢮦点将来すべし。
これを参見仏祖とす。
〔『正法眼蔵』私訳〕
却迷(却って迷うこと)に親しみきった大悟(大きな悟り)があるから、
賊(却迷)の存在を知覚して子(大悟)と見なすことを却迷(却って迷うこと)とするのではなく、
子(大悟)の存在を知覚して賊(却迷)と見なすことを却迷とするのでもない。
(しかあれば、認賊為子を却迷とするにあらず、認子為賊を却迷とするにあらず。)
大悟は賊(却迷)の存在を知覚して賊(却迷)と見なすのであり、
却迷は子(大悟)の存在を知覚して子(大悟)と見なすのである。
(大悟は認賊為賊なるべし、却迷は認子為子なり。)
〔大悟(子)と却迷(賊)の間は、「賊の存在を知覚して賊と見なす」と
「子の存在を知覚して子と見なす」の間ほどの意味合いに理解すべきであると言うのである。〕
多い処にものを加えるのを大悟とする。
少ない処からものを減らすのが、却迷である。
(多所添些子を大悟とす。少処減些子、これ却迷なり。)
〔大悟は大悟で全世界を尽くし、却迷は却迷で全世界を尽くすことを表す。〕
そうであるから、却って迷う者を探して捕えてみると、
大悟に徹した人と互いに逢うだろう。
(しかあれば、却迷者を摸著して把定了に大悟底人に相逢すべし。)
〔却迷者と大悟底人が同じであることを表す。〕
今の自己は、却って迷っているのか、迷っていないのか、
綿密に点検して見極めなければならない。
(而今の自己、これ却迷なるか、不迷なるか、𢮦点将来すべし。)
〔ここも、却迷と不迷が同じ意味であることを表す。〕
これこそが、仏祖に参じ見マミえることである。
(これを参見仏祖とす。)
〔以上で、僧が「大悟に徹した人が却って迷う時とは、
どういうことでしょうか」と述べた言葉の説明がすんだ。〕
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