〔『正法眼蔵』原文〕
雪峰いはく、「趙州ジョウシュウ古仏」。
しるべし、趙州たとひ古仏なりとも、
雪峰もし古仏の力量を分奉ブンプせられざらんは、
古仏に奉覲ブゴンする骨法コッポウを了達しがたからん。
いまの行履アンリは、古仏の加被カビによりて、
古仏に参学するには、不答話の功夫あり。
いはゆる雪峰老漢、大丈夫なり。
古仏の家風および古仏の威儀イイギは、
古仏にあらざるには相似ならず、一等ならざるなり。
しかあれば、趙州の初中後善を参学して、古仏の寿量を参学すべし。
〔『正法眼蔵』私訳〕
雪峰は言う、「趙州ジョウシュウ古仏」。
(雪峰いはく、「趙州古仏」。)
〔雪峰が趙州を古仏(たった今にいる人の第一人者)として対面した言葉である。〕
知るべきである、趙州がたとえ古仏であっても、
雪峰がもし古仏の力量を分けてもらっていなければ、
趙州古仏にお目にかかる奥義を会得できなかったであろう。
(しるべし、趙州たとひ古仏なりとも、雪峰もし古仏の力量を分奉ブンプせられざらんは、
古仏に奉覲ブゴンする骨法を了達しがたからん。)
雪峰が趙州を古仏と呼んだ今の行いは、趙州古仏の加護によって、
趙州古仏に参学するときには、不答話(問いの言葉が答えを説き抜き、
答えが問いのオウム返しになる問答)の工夫があるのである。
(いまの行履アンリは、古仏の加被カビによりて、古仏に参学するには、不答話の功夫あり。)
たとえば、雪峰老漢は大乗仏教を担う優れた禅僧だということである。
(いはゆる雪峰老漢、大丈夫なり。)
趙州古仏の家風と威儀は、雪峰和尚が古仏でなければ似たものとならず、
等しくとならないのである。
(古仏の家風および古仏の威儀イイギは、古仏にあらざるには相似ならず、一等ならざるなり。)
〔いずれも古仏と古仏だからこのように対面ができるのであり、
すなわち不答話である。〕
だから、趙州古仏の発心・修行・菩提・涅槃の全てを参学して、
古仏の永劫に尽きることのない慧命を参学すべきである。
(しかあれば、趙州の初中後善を参学して、古仏の寿量を参学すべし。)
『第九古仏心』第二段その2b〔雪峰は言う、「趙州古仏(たった今にいる人の第一人者)」〕
合掌
コメント
コメントを投稿