〔抄私訳〕
「祖宗の嗣法するところ、
七仏より曹谿ソウケイにいたるまで四十祖なり。
曹谿より七仏にいたるまで四十仏なり。
七仏ともに向上向下の功徳あるがゆゑに、曹谿にいたり七仏にいたる。
曹谿に向上向下の功徳あるがゆゑに、七仏より正伝し、
曹谿より正伝し、後仏に正伝す。
ただ前後のみにあらず、釈迦牟尼仏のとき、十方諸仏あり。
青原のとき南嶽あり、南嶽のとき青原あり。乃至石頭のとき江西あり。
あひ罣礙せざるは不礙にあらざるべし。
かくのごとくの功徳あること、参究すべきなり」とある。
「過去七仏」より「曹谿」に至るまでを「四十祖」と言い、「曹谿」より「七仏」に至るまでの祖師を「四十仏」と言うのは、まったく逆だと思われるが、
仏祖の皮肉骨髄が通じるところは「汝、吾の皮肉骨髄を得たり」であるからには、
決して「仏」と「祖」の隔てはないのである。
そうであるからには、
旧見を破るためにもこの言葉が大切であると言っておきたい。
また「向上向下」の言葉は、
「向上」は上を指し、「向下」は下を指すと思われるが、そうではない。
「仏祖」を「向上向下」と使うのである。
決して上下に対する言葉ではない。
この「四十祖」「四十仏」の宗意が落ち着く所は、
ただ「一仏一祖」(一仏は一祖であり、一祖は一仏であるの意)である。
この時は、「向上向下」の言葉を決して上下に対していると心得てはならない。
「一仏一祖」を、「向上向下」と心得るべき道理が明らかである。
また「釈迦牟尼仏のとき、十方諸仏あり」とある。
これは「釈迦牟尼仏のとき」も「十方の世界に諸仏」がいるけれども、
お互いに妨げず、
「青原のとき南嶽」、「乃至石頭のとき江西」がいるけれども、
お互いに妨げない証拠に引かれるのである。
これは「釈迦牟尼仏」と「十方の世界の諸仏」は一体であるから、
「青原」と「南嶽」、「石頭」と「江西」などの、
皮肉骨髄が通じるところを表すためであると心得るべきである。
また、「罣礙」(妨げる)するという道理もあろう。
「青原のとき」、「南嶽」と並ばない道理を「罣礙」するとも言うのである。
〔聞書私訳〕
/一句を聞いて万句を悟ると言う、これは頓機(速やかに悟る機根)である。
浅い処から順々に深い処に至るのは漸機(段階を経て悟る機根)である。
今の「嗣法」(法を受け継ぐこと)のありようによって、七十五巻の『正法眼蔵』を
明らめるべきである。どの句も当たらないということはないのである。
/「あひ罣礙せざるは不礙にあらざるべし」とは、「罣礙せざる」というのも「不礙にあらざるべし」というのも、ただ同じ言葉の理と思われるが、そうではない。
「礙」という言葉を、世間のように心得ずに言うとき、このように言われるのである。順逆でなく、縦横でない理由を説くのが、「不礙にあらざるべし」と心得られるのである。その本意はまた「古仏心」の道理である。
「七仏」より「曹谿」に至るまで「四十祖」であり、
「曹谿」より「七仏」に至るまで「四十仏」であるという意味合いは、
縦(時間的)に言って説く言葉と思われる。
「釈迦牟尼仏のとき、十方諸仏あり。青原のとき南嶽あり」などと説くのは、
横(空間的)を表すと教家(天台教学)では言うが、必ずしもそうではない。
「向上向下」の功徳は、順逆にも関わらず、前後にも滞らないのである。
たとえば、心より身に至り、光明より国土に至るなどと言うようなもので、
これは縦横に関わらないのである。
合掌
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