〔抄私訳〕
「恁麼いはんに、徳山さだめて擬議すべし。当恁麼時、もちひ三枚を拈じて徳山に度与すべし。徳山とらんと擬せんとき、婆子いふべし、
『過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得』」とある。
これは文の通りである。「もちひ三枚」とは、
三世の言葉にしばらく当たるのである。
「もし又徳山展手擬取せずは、一餅を拈じて徳山をうちていふべし、
『無魂屍子、你莫茫然《無魂の屍子、你茫然なること莫れ》』」とある。
これも文の通りである。これは、「魂のない屍カバネよ、
你茫然なること莫れ」と、徳山に恥じをかかせる言葉である。
「かくのごとくいはんに、徳山いふことあらばよし、いふことなからんには、婆子さらに徳山のためにいふべし。ただ払袖してさる、そでのなかに蜂ありともおぼえず。徳山も、『われはいふことあたはず、老婆わがためにいふべし』ともいはず。しかあれば、いふべきをいはざるのみにあらず、とふべきをもとはず」とある。
これは、老婆を許さない言葉である。
〔聞書私訳〕
/「もちひ三枚を拈じて徳山に度与すべし」という
この「もちひ三枚」とは、過去・現在・未来の意である、
「心」を「餅」と取るからである。
/「徳山展手擬取せずば、一餅を拈じて徳山をうちていふべし、
『無魂屍子、你莫茫然《無魂の屍子、你茫然なること莫れ》」とは、
「心」で「徳山を打つ」意である。
この「一餅」とは「一心」を指すのである。
合掌
コメント
コメントを投稿