〔抄私訳〕
「愛せざらんや、明珠かくのごとくの彩光きはまりなきなり。
彩々光々の片々条々は尽十方界の功徳なり」とある。
この「明珠」の功徳や荘厳が無辺際であることは、
尽十方界の功徳であると言うのである。
「たれかこれを攙奪ザンダツせん。行市アンシに塼カワラをなぐる人あらず、六道の因果に不落有落フラクウラクをわづらふことなかれ。不昧フマイ本来の頭正尾正ズシンビシンなる、明珠は面目なり、明珠は眼睛ガンゼイなり」とある。
「簒奪」「行市」とは、市場で商人が満足のいかない物をしいて交換すること
でありこれは非道である。
このような邪な非道はあってはならないというのである。
「塼をなぐる人あらず」とは、抛塼引玉ホウセンインギョク(塼カワラを投げて玉を引く)
ということである。これも非道であり潤色に引き出されるのである。
このような道理であるから、「六道の因果に不落有落をわづらふことなかれ」
と言うのである。頼もしく貴いことである。
「不昧本来の頭正尾正なる明珠は面目なり明珠は眼睛なり」と言うのである。
〔聞書私訳〕
/「行市に塼をなぐる人あらず」とは、抛塼《かわらをなげて》玉を引くという言葉があり、これは「塼」の価値を低くし、
玉の価値を高くする言葉である。
「尽十方世界是一顆明珠」であるからには、「塼」であっても嫌って投げ、
玉であっても重んじて引く人があってはならない道理を言うのである。
合掌
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