〔『正法眼蔵』原文〕
しかあればすなはち、この明珠の有如無始ウニョムシは無端ムタンなり。
尽十方世界一顆明珠なり、両顆三顆といはず。
全身これ一隻イッセキの正法眼ショウボウゲンなり、全身これ真実体なり、
全身これ一句なり、全身これ光明なり、全身これ全心なり。
全身のとき、全身の罣礙ケイゲなし。
円陀々地エンダダチなり、転轆々テンロクロクなり。
明珠の功徳かくのごとく見成ケンジョウなるゆゑに、
いまの見色聞声ケンシキモンショウの観音カンノン弥勒ミロクあり、
現身説法の古仏新仏あり。
〔『正法眼蔵』私訳〕
そうであるから、この明珠の真の姿は始めがなく際限が無いのである。
(しかあればすなはち、この明珠の有如無始ウニョムシは無端ムタンなり。)
あらゆる世界は一個の明珠であり、
そこらに二つ三つあるというようなものではない。
(尽十方世界一顆明珠なり、両顆三顆といはず。)
自己の全身がそのまま一つの正法眼蔵涅槃妙心であり、
全身がそのまま真実体であり、全身がそのまま一句であり、
全身がそのまま光明であり、全身がそのまま全心なのである。
(全身これ一隻イッセキの正法眼ショウボウゲンなり、全身これ真実体なり、
全身これ一句なり、全身これ光明なり、全身これ全心なり。)
全身というとき、全身明珠というのも余計なことで、
全身はただ全身なのである。
(全身のとき、全身の罣礙ケイゲなし。)
この珠の形は丸く角がなく、
車がゴロゴロと回り続けるように際限がないのである。
(円陀々地エンダダチなり、転轆々テンロクロクなり。)
明珠の功徳がこのように現れているから、今、色を見、声を聞く
観音や弥勒があり、身を現し法を説く古仏や新仏があるのである。
(明珠の功徳かくのごとく見成なるゆゑに、いまの見色聞声ケンシキモンショウの
観音カンノン弥勒ミロクあり、現身説法の古仏新仏あり。)
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