〔『正法眼蔵』原文〕
飜身回脳ホンシンエノウするに、如一銭大ニョイッセンダイなり、似微塵裏ジミジンリなり。
平坦々地ヘイタンタンチ、それ壁立千仭ヘキリュウセンジンなり。壁立千仭処、それ平坦々地なり。
〔抄私訳〕)
「如一銭大」、これは何事かと思われるが、「似微塵」に対して微塵は小さく、「銭大」と言えば大きい所を、しばらく対比させたのである。
「平坦々地」とは、平たく低いことを「平坦々地」と言い、「壁立千仭」とは高く千尺の懸崖ケンガイなどというほどの意味合いで、高いことである。
つまる所、大小、高下、共に皆尽十方世界と説くからには、これらに滞らないという意味である。
〔『正法眼蔵』私訳〕
広大な世界で身を翻し考えを回らし様々に行動するといっても、一円玉くらいの大きさの中にあり、なかなか見て取れないくらい小さなものの中に様々な動きがみな行われているのである。
(飜身回脳ホンシンエノウするに、如一銭大ニョイッセンダイなり、似微塵裏ジミジンリなり。)
〔時間で言えば、0.01秒くらいの動きの中でもちゃんと違いが分かるのでしょう。例えば、百メータ競走のゴールで、人間の眼は1ミリくらいの違いでも、横から見ていてどちらの走者が早いか分かるのです。微塵裏に似たりという様子ですね。こういう働きをこの身心は常に使っているのですね。〕
何でもないごく普通の日々の今の様子〈平坦々地〉が、切り立った絶壁のように手のつけようがない様子〈壁立千仭〉である〔、今の様子に手をつけようと思っても既にもうなく、今の様子に居てみるとお陰で苦労せずに済むのである〕。切り立った絶壁のように手のつけようがない様子が、何でもないごく普通の日々の今の様子なのである。
(平坦々地ヘイタンタンチ、それ壁立千仭ヘキリュウセンジンなり。壁立千仭処、それ平坦々地なり。)
合掌
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