〔『正法眼蔵』本文〕
生は一枚にあらず、死は両疋ヒツにあらず。
死の生に相対するなし、生の死に相待するなし。
〔抄私訳〕
「生は一枚にあらず」とは、一多に拘らないということである。
一枚とも、二枚とも言われるべきでないということである。
死は二枚ではないというのも、一枚二枚ほどの意味である。
〔『正法眼蔵』私訳〕
生はこれだけだという活動をしておらず、死もこれだけだという活動をしていない。
(生は一枚にあらず、死は両疋ヒツにあらず。)
〔生きている”今の様子”を写真に撮ろうとしても、何枚撮っても撮りきれない様子がずうっとある、といった様子でしょう。〕
死〈先程見ていたもの〉が生〈今見ているもの〉と相対することはなく、
生〈今見ているもの〉が死〈先程見ていたもの〉を待つことはない。
(死の生に相対するなし、生の死に相待するなし。)
〔尽十方世界である真実人体と呼ばれる私たちの身体は何かを待って生きているような過ごし方を一度もしたことがありません。待つような生き方をするのは、考え方を中心にして生きている人たちだけがそうなるのです。
だって、いつでもどこでもちゃんとした”今の様子”があるだけです、そこで私たちは生きているのです。その豊かな生き方を頂いて生きていくだけなのです。〕
合掌
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