(『正法眼蔵』原文)
しばらく山河大地センガダイチ日月星辰ニチガツセイシン、これ心なり、
この正当恁麼時ショウトウインモジ、いかなる保任ホニンか現前する。
山河大地といふは、山河はたとへば山水なり。
大地は此処ココのみにあらず、山もおほかるべし、大須弥ダイシュミセン小須弥あり。
横に処せるあり、堅タテに処せるあり。三千界あり、無量国あり。
色シキにかかるあり、空クウにかかるあり。
河もさらにおほかるべし、天河あり、地河あり、四大河あり、無熱池あり、
北俱蘆州ホックルシュウには四阿耨達池アノクダッチあり。海あり、池あり。
地ヂはかならずしも土ドにあらず、土かならずしも地にあらず。
土地ドヂもあるべし、心地シンヂもあるべし、宝地ホウヂもあるべし、
万般バンパンなりといふとも、地なかるべからず、空クウを地とせる世界もあるべきなり。
〔抄私訳〕
「山河大地といふは」と言って、「山河大地」「太陽月星」のありようを重ね重ね委しく釈されており、文の通りに心得るべきである。
〔『正法眼蔵』私訳〕
しばらく山河大地・太陽月星の一々を心と言うのである〈三界唯心〉。
正にこのような時、心の外に見ることができるものは何もないのである。
(しばらく山河大地センガダイチ日月星辰ニチガツセイシン、これ心なり、この正当恁麼時ショウトウインモジ、いかなる保任ホニンか現前する。)
山河大地というのは、山河は具体的に説明すると山水である。
(山河大地といふは、山河はたとへば山水なり。)
大地は人間界の大地ばかりではなく、山も多種多様であろう。
大須弥山ダイシュミセン(古代インドで世界の中心にある山)があり小須弥山がある。
(大地は此処のみにあらず、山もおほかるべし、大須弥小須弥もあり。)
横になっているものもあり、縦になっているものもある。
(横に処せるあり、堅タテに処せるあり。)
三千大千世界があり、無量の国土がある。
(三千界あり、無量国あり。)
四禅天(清らかな物質からなる世界:色)にかかる世界もあり、四無色(物質の束縛を離脱した心のはたらきだけからなる世界:空)にかかる世界もある。
(色シキにかかるあり、空クウにかかるあり。)
河もさらに多く、天の河もあり、大地の河もあり、須弥山から流れ出る四大河もあり、その水源には清冷な炎熱の苦しみのない池があり、須弥山シュミセンの北にある寿命千年の楽土の世界には、四つの無熱の池もある。
そのほか無数の海があり、池がある。
(河もさらにおほかるべし、天河あり、地河あり、四大河あり、無熱池あり、北俱蘆州ホックルシュウには四阿耨達池アノクダッチあり。海あり、池あり。)
地は必ずしも土のみではなく、土は必ずしも地ではない。
(地ヂはかならずしも土ドにあらず、土かならずしも地にあらず。)
万物を生じる土地もあろう、万法を生じる心の地もあろう、
伽藍の宝地もあろう。
(土地ドヂもあるべし、心地シンヂもあるべし、宝地ホウヂもあるべし。)
様々な地があるとはいえ、地がなくてはならないからであり、
空クウを地とする世界もあるのである。
(万般バンパンなりといふとも、地なかるべからず、空クウを地とせる世界もあるべきなり。)
〔これらは、みな心が現成する在り様を細弁されるのです。〕
合掌
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