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正4『正法眼蔵聞書抄身心学道第四』〔身心学道:身心の在り様がそのまま学仏道である〕

 正法眼蔵第四身心学道

〈正法眼蔵ショウボウゲンゾウ涅槃妙心ネハンミョウシン:

釈尊が自覚された涅槃妙心である一切のものの正しい在り様を、

道元禅師も自覚され、それを言語化され収められた蔵。

第四巻身心学道シンジンガクドウ

身心の在り様がそのまま学仏道である〉





正4-1-1『第四身心学道』第一段その1

〔仏道は、仏道以外によって仏道に擬ナゾえても決して当たるものではない〕


〔『正法眼蔵』原文〕   

仏道は、不道フドウを擬ギするに不得フトクなり、

不学を擬するに転遠テンオンなり。


〔抄私訳〕 

仏道は、仏道以外で学ぼうとしても出来ず、

仏道を学ばなければますます遠ざかるのである。


近頃の禅僧の中には、「宗門では言語を用いないから聖典に随わず、学問は教者キョウシャ(仏典を解釈することによって仏法の道理を説く者がなすところであるからただ坐禅して悟りを待つのだ」と言う族ヤカラが多い。


しかしこれは、今言うところのわが宗門の儀とは全く相違する。邪見である。そうではなく、常に師を尋ね道を訪ねて功夫参学(純一に修行に精進)すべきである。




*注:《 》内は聞書抄編者の補足。[ ]内は訳者の補足。〈 〉内は独自注釈。( )内は辞書的注釈。


                               合掌



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