「身現円月相」(身に円月相を現ず)ということがこの第七段の要カナメです。
この身が円い月の姿、つまり、この身心はこのまま仏性の現れだということなんですね。
しかし、人間は、自我の満足〈我慢〉を求めて、悲喜劇の人生模様を繰り広げています。その結果得られる脳内化学物質の分泌による満足感は長くは続かず、満足追求と不満の七転八倒が果てしなく続いていく、といったところです。
そして、満足が得られないと、あらゆる手段に訴えます。そのため、争いは随所で起こり、殺戮はおさまることなく、自死もなくなることはありません。80億人と200カ国のエゴとエゴがぶつかり合う人間社会は五濁悪世の観を呈しているようでもあります。
ギリシャ神話では、神は人間が生きるために人間に火を与えましたが、人間は他の人間を殺戮するためにも火を使うようになりました。その結果、地表で戦火が止むことはなく、今や第三次世界大戦による人類滅亡が危惧されるまでになってきています。
しかし、道元禅師は、「この身心の現れは仏性のすがただ」〈身現円月相〉、このように現れているこの身心が、そのまま仏の体だ〈以表諸仏体〉、煩悩まみれであろうが、問題だらけであろうが、何がどうなっていようが、この身心が今ここにこのように在る、そのまま仏性の現れなんだよ、そのこと自体が仏である証拠なんだよ、と仰ってくださっているのですね。
今、ここで、見えます、見ようと思わなくても見えます。この身心に具わっている視覚機能と環境が触れ合うと、見ようと思わなくても眼前のものが見えます〈眼見目覩〉。今、聞こえます、聞こうと思わなくても聞こえます。
立ち上がり、カーテンを開け、頭を上げると、青空が見えます、暖かい日差しが感じられます、青空の向こうに宇宙が観じられます、極小宇宙〈四大五蘊によって構成されるこの身心〉と極大宇宙〈四大五蘊のこの身心が想像することによって表れる大宇宙〉が相互共存〈インタービーイング〉しながら表れています〈身現相〉、すべての現象〈蘊処界〉は仏性によって表れていることが頷ウナズけます。
春の時節、「ホーホケキョー」、二階の窓越しに隣家の桜が見えます。小鳥が飛んできてとまると桜の小枝が揺れます。色形のないものが、声なき声で、姿なき姿で法を説き、すべては仏性であると弁じています〈説法其の形無し、用弁は声色に非ず〉。
「シーーーン」と法音が脳内から全身に広がり、「ケキョケキョケキョ・・・・ホーホケキョ」の法音と互いに響き合い、聴こえる通りに思量〈聴取するが如く思量〉され、「ホーホケキョー」は「すべて仏だ」と説き、「シーーーン」も「すべては仏だ」と説きながら深まっていきます。この身心〈具象〉は宇宙〈普遍〉の現れです。
この身心の働きは宇宙〈普遍〉の働きです。今ここに宇宙〈普遍〉がこのように現れ、宇宙がこのように働いているのです。宇宙が宇宙を見ています、宇宙が宇宙を聴いています、宇宙が宇宙を呼吸しています、宇宙が宇宙を想像し、それによって宇宙が一瞬一瞬創造されているのです。
だから、この身心は私という思い〈脳内の一瞬一瞬の電気化学作用〉ではなく〈除我慢〉、この身心は仏の体の表れです〈以表諸仏体〉。この身心が今ここに在る、この身心がこのように不生不滅している、変化しながら現れている、これが仏性です〈見仏性〉。どんな人でもどんな時でも仏性であり、あらゆる束縛から解放されているのです〈解脱〉。
お釈迦様、道元禅師様、「この身心の現れは仏性だ」と自覚され、私たちにお示しいただきました。本当にありがとうございます、感謝合掌礼拝します。
シーーーン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
合掌
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