〔抄私訳〕
・「知るべし、悉有中シツウチュウに衆生快便難逢カイベンナンホウ」(知るといい、悉有の中で衆生は仏性に逢い難い)とは、悉有(すべての存在)は即ち衆生であり、衆生は即ち悉有であるから、衆生と言う時は、衆生に悉有が身を蔵カクすので逢い難いのである。また、悉有と言う時は、衆生が悉有に身を蔵すために逢い難いのである。また、衆生と悉有は一つのものであるから、逢い難いとも理解することができる。
〔聞書私訳〕
/「悉有中に衆生快便難逢カイベンナンポウ」(悉有の中で衆生は快い便宜〈仏性〉に逢い難い)とは、「悉有中」とは、例えば、「衆生中」「仏性中」というようなものである。
/「逢い難い」という言葉について二つの意味がある。
/一つには、日頃嫌っている衆生に、悉有仏性(すべての存在は仏性である)の意味合いでは逢い難いという意味がある。
/二つには、衆生が皆衆生であるなら、また離れて逢うべきものがない、という意味もある。また、人に逢わないという人は、尽十方界真実人体〈全宇宙と一体である真実の自己〉である。
/およそ、悉有(すべての存在)の中には別の衆生がいるはずがない。喩え、逢うとしても衆生が衆生に逢うと理解すべきである。一体になって逢う意味である。
〔『正法眼蔵』私訳〕
はっきり知るといい、すべての存在と衆生と仏性は一つだから、すべての存在の中で衆生は仏性に逢いようがないのである。(まさに知るべし、悉有中に衆生快便難逢カイベンナンホウ《衆生は快い便宜には逢い難い》なり。)
すべての存在をこのように学べば、すべての存在は、一切の煩悩やとらわれを脱して全体が仏性に成り切るのである。(悉有を会取エシュすることかくの如くなれば、悉有それ透体脱落なり。)
合掌
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