〔『正法眼蔵』本文〕
まさに知るべし、悉有中に衆生快便難逢カイベンナンホウ《衆生は快い便宜には逢い難い》なり。
悉有を会取エシュすることかくの如くなれば、悉有それ透体脱落なり。
〔聞書私訳〕
/「遍界不曾蔵ヘンカイフスンゾウ」〈全世界はこれまで何も蔵カクすものはなく、仏性が常に現れている〉、「亘古亘今カンコカンコン」(古今にわたる)、「不受一塵」(煩悩の塵一つも受けない)、「合取ガッシュ」(全部合わせたもの)、「平常心是道ビョウジョウシンゼドウ」(普段の心が道である)などというこれらの言葉は、仏道で用いるところである。とは言うものの、これらの言葉はどうして互いに意味が通じ合うのか。
/言葉が各々オノオノであるから、意味も各々であるのか。言葉は各々であるが、意味は一つであるのか。各々の言葉も各々ではない、という意もある。
/各々の言葉によって各々の意味があるとは、「遍界不曾蔵ヘンカイフスンゾウ」〈全世界はこれまで何も蔵カクすものはなく仏性が常に現れている〉という言葉の上において、「悉有仏性」〈すべては仏性である〉の道理を説き尽くしていないということはない。
或いは、「衆生快便難逢」(衆生は快い便宜〈仏性〉に逢い難い)という言葉も、また「悉有仏性」の道理を説き尽くしていないということはない。
各々の言葉に用いる「悉有仏性」であるから、「悉有仏性」の道理もまた各々であるという意味もある。「法門無尽」(仏の教えは尽きることが無い)というのもこの意味である。
このように説かれれば、言葉も各々であり、理コトワリも各々である、と言うことができる。
/言葉は各々であるけれど、意味は一つであると言うことは、
/言葉は各々であるように見えるけれども、「悉有仏性」の道理一つを説くからである。
/各々の言葉も各々ではない、とは、
/どの言葉を説いても「悉有仏性」〈すべては仏性である〉の道理であるから、言葉はそれぞれ別ではないというのである。
合掌
次回に続く・・・
コメント
コメントを投稿