〔『正法眼蔵』私訳〕
尽界はすべて客塵なし、直下ジキゲさらに第二人あらず、
直截根源人未識ジキセツコンゲンニンミシキ、忙忙業識幾時休ボウボウゴッシキジキキュウ
《直ヂキに根源を截キるも人未だ識らず、忙忙たる業識幾時か休せん》
なるがゆえに。
〔抄私訳〕
・「尽界はすべて客塵なし」〈全世界は一点の煩悩もなく、また迷いもない〉とは、尽十方界を説くときは、まったく外から来る煩悩がないから、「第二人あらず」と言うのである。
・「直に根源を截キるも人未だ識らず、忙忙たる業識幾時か休せんなるがゆゑに」〈煩悩の根源は直きに切れる道理があるのを人が知らない、生死流転して忙セワしない業識の果てしがないからである〉とある。この業識〈理由なく浮かんでくる様々な意識〉は仏性を指すと理解すべきであり、この道理から、「業識幾時か休せん」と言われるのである。
〔『正法眼蔵』私訳〕
全世界は一点の煩悩もなく、また迷いもない。(尽界はすべて客塵なし、)
全世界に第二人はいない、仏性人一人きりである。(直下ジキゲさらに第二人あらず、)
煩悩の根源は直きに切れる道理があるのを人が知らない、生死流転して忙セワしない業識〈理由なく浮かんでくる様々な意識〉の果てしがないからである。ところがよく見ると、この業識が砥石となって、我らを研いでくれるから仏になれるのだ。休みなき業識は仏性の現前である。(直截根源人未識ジキセツコンゲンニンミシキ、忙忙業識幾時休ボウボウゴッシキジキキュウ《直ヂキに根源を截キるも人未だ識らず、忙忙たる業識幾時か休せん》なるがゆえに。)
合掌
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