〔『正法眼蔵』原文〕
いま宏智禅師より後ノチ八十余年なり、
かの坐禅箴をみて、この坐禅箴を撰す。
いま仁治三年壬寅ジンイン三月十八日なり。
今年より紹興ショウコウ二十七年十月八日にいたるまで、
前後を算数サンジュするに、わづかに八十五年なり。
いま撰する坐禅箴、これなり。
坐禅箴
仏々要機、祖々機要。《仏々の要機、祖々の機要》
不思量而現、不回互而成フエゴニジョウ。《不思量にして現ず、不回互にて成ず》
不思量而現、其現自親ゴゲンジシン。《不思量にして現ず、其の現自ら親なり》
不回互而成、其成自証。《不回互にして成ず、其の成自ら証なり》
其現自親、曾無染汚ゾウムゼンナ。《其の現自ら親なり、曽て染汚無し》
其成自証、曾無正偏ゾウムショウヘン。《其の成自ら証なり、曽て正偏ショウヘン無し》
曾無染汚之親ゾウムゼンナシシン、其親無委而脱落ゴシンムイニダツラク。
《曽て染汚無きの親、其の親無委にして脱落なり》
曾無正偏之証、其証無図而功夫ゴショウムトニクフウ。《曽て正偏無きの証、其の証無図ムトにして功夫なり》
水清徹地兮、魚行似魚。《水清スんで徹地なり、魚行ユいて魚に似たり》
空闊透天兮、鳥飛如鳥。《空闊クウカツ透天トウテンなり、鳥飛んで鳥の如し》
宏智禅師の坐禅箴、それ道未是ドウミゼにあらざれども、
さらにかくのごとく道取すべきなり。
おほよそ仏祖の児孫、かならず坐禅を一大事なりと参学すべし。
これ単伝の正印ショウインなり。
正法眼蔵坐禅箴第十二
仁治三年壬寅ミズノエトラ三月十八日 記興聖宝林寺
同四年癸卯ミズノトウ、冬十一月 越州吉田県吉峰精舎示衆
合掌
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